天使の誘惑

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第3話

 腰に付けたキーホルダーをカチャカチャと鳴らしながら、ヘルメットを持って玄関に向かう。慌てて後を追うように立ち上がった政美は、綾部を見送るために玄関先に立った。
「じゃあ⋯明日」
「うん」
確認するように会話をして綾部は政美の部屋を後にした。
 素晴らしく晴れ渡った空⋯、青い空に雲一つ無い。
こんな事を秋晴れと言うのだろうか?
ワンルームのマンションの窓から見えるのは、切り取ったほんの小さな空だったが、これも見なれてみるとなかなか良いもんだ。
 そんな気分で、支度を始める。
独身者唯一の贅沢品であるサイフォンを使って、コーヒーを入れる。
アルコールランプに火を入れて、水がサイフォンの中を往復してくるのを待つ。
 仕事から帰った時は、そんな様子を見ながら時間を過ごしてみたりするのだが、朝一分でも惜しくなるような忙しい時間では、それもままなら無い。その空きに顔を洗って服を着替える。
 一通りの準備が終わり、台所に戻るとコーヒーが部屋中を香ばしい香りで一杯にしていた。
 上がりきったコーヒーを見ると、政美はサイフォンの下にあるアルコールランプを手に取ってガラスのキャップをのせる。と、同時に一気にコーヒーが下へと流れ込み、出来上がる。
 最後の一滴が落ちたのを見計らって、カップに注ぐ。
 一口含んだところで、部屋の呼び鈴が鳴った。
カップを置いて、玄関に向かう。
 外にいる人を確認すること無く、鍵を上げ扉を開ける。
「おはよう、管野さん」
「おはよう」
簡単に朝の挨拶を済まして、招き入れる。
「良い香りだね」
「飲んでいく?」
にっこりと微笑み、自慢のコーヒーを勧める。
「管野さんの炒れたコーヒーうまいもんね」
「煽ててもなにもでないよ⋯それに綾部君が俺の炒れたコーヒーを飲んだのってまだ二度目じゃなかった?」
「バレたか!」
「当然!」
 軽く言葉を交じわす軽快さが、政美には居心地が良かった。
初対面に近い他人とこんなにも親しくなれることを、綾部は政美に教えてくれた。
『これまでの人見知りな自分に“さよなら”出来そうな気がする。』
そんな思いが政美の中に根づき始めていた。
「ごちそうさま」
「どういたしまして⋯」
「じゃあ、そろそろ出かけようか」
そう言いながら、綾部は腰を上げた。
「そうだね⋯あっ⋯でもちょっと待って」
政美はテーブルに置かれたカップを手に取って流しのところに持っていき、軽く濯いで水につけておく。
「けっこうマメだよねぇ、管野さんって」
「そんな事ないと思うけど?⋯綾部君がズボラなんじゃないの?」
「ちぇっ」
 政美は口をとがらせて不貞腐れてしまった綾部の様子を見ながら、くすくすと笑みをもらした。
「さあ行こう。此処でそんなに不貞腐れていたら、間に合わなくなっちゃうよ、綾部君」
政美の言葉に自分の腕時計で時間を確認する。
「げっ⋯本当にまずい!」
「管野さん、下で待ってるから、急いで準備して降りてきて!」
いったと同時に、綾部は政美の部屋を後にした。
政美は上着と部屋の鍵を持って玄関をへ向かい、施錠したことを確かめて、マンションの階段を降りていった。
 マンションの玄関先では、綾部が車に乗って待っている。
「お待たせ⋯」
車の助手席側のドアを開けながら、待たせた事を詫びるとスルリと身体を乗り込ませた。
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